このページでは、現存しているモレスキの写真を分かる限り年代順に並べています。
16~17歳頃
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のピア聖歌隊で、第一ソプラノを務めていた1875年頃に撮影されたとされる。
この写真は左右が反転しているとする証言もある。
Lady Summerisleによれば、モレスキの頭髪の流れる向きから、それが分かるらしい。
ほかの写真を見ると、彼の髪は右に流れるくせがあるというのだが――
管理人にはよく分かりません・・・。
声楽グループのメンバーと
写真左下、帽子を手に座っている人物がモレスキ。
その隣はアントニオ・コトーニ、右端に座っている人物がジョヴァンニ・チェザーリ。
コトーニはイタリア国外でも活躍したバリトン歌手。
モレスキの後ろに立っているのがカポッチ、その隣がフィリッポ・マットーニ、右上の人物がドメニコ・サルヴァトーリ。
マットーニはファルセッティストのコントラルト。
チェザーリとサルヴァトーリはカストラートで、この写真が撮られたときすでにシスティーナ礼拝堂聖歌隊の一員だった。
写真下の手書きの説明では、カポッチのファーストネームが誤ってジョヴァンニとされている。
モレスキは「ソプラノ」、チェザーリは「ソプラノ(アクート)」と書かれている。
コトーニとカポッチは「バリトン」、マットーニとサルヴァトーリは「コントラルト」となっている。
写真の撮影時期
この写真の撮影時期について、ニコラス・クラプトンは1875年頃に撮られたとしている。
するとモレスキの年齢は17歳頃と考えられる。
しかしLady Summerisleはここでもモレスキの髪型から撮影時期を分析しており、25歳頃の写真や30歳頃の写真ではベーリーショートだった彼の髪が、ここではショートヘアをなでつけたスタイルに変化していると指摘している。
よって先ほどの1880年台後半に撮影された写真より後の時期ではないかと憶測する。
ただしカポッチは1898年1月11日に亡くなっているので、1888年までに撮影されているはずだ。
するとモレスキの年齢は30代半ば頃ということになる。
だがモレスキを30代半ばと仮定すると、モレスキより3つ年上のサルヴァトーリは40近いことになってしまうのだが、管理人の目にはもっと若く見える。
ということで、モレスキの写真を年代順に並べたこのページでは、17歳頃の位置に持ってきた。
システィーナ礼拝堂聖歌隊に加入した25歳頃
聖歌隊員の正装をしている数少ない写真。
多くの写真で彼は、19世紀当時の紳士らしい当世風のスーツスタイルである。
30歳頃
1880年代の終わりごろに撮影されたらしい。
この写真でもモレスキはステッキと帽子を手にしており、社会的にも経済的にも上流階級に属していたことを示している。
39歳、システィーナ礼拝堂聖歌隊にて
この写真は1898年3月4日、教皇レオ13世在位30周年記念ミサの際に撮られた、システィーナ礼拝堂聖歌隊メンバーの集合写真である。
モレスキは写真中央に立っている(39)。
各人物の色分けで声種が分かるようになっている。
すなわちピンクがソプラノ、藤色がアルト、紫がテノール、茶色がバスである。
頭髪が後退している様子から、アルトはファルセッティスト(現代では「カウンターテナー」の呼称が一般的な、裏声を磨いて高音を歌う男性歌手)が務めていたようだ。
ピンクの印がついたソプラノのメンバーについては名前が分かる。
- 54:ジョヴァンニ・チェザーリ
- 42:ドメニコ・サルヴァトーリ
- 39:アレッサンドロ・モレスキ
- 48:ヴィンチェンツォ・セバスティアネッリ
- 70:ドメニコ・ムスタファ
- 64:グスターヴォ・ペッシ
- 57:ジュゼッペ・リタロッシ
モレスキが写っている部分の拡大写真
50代のモレスキに会ったフランツ・ハーベックは、その著書に「彼の身長は普通か、むしろ小さいくらいだ」と書いているが、この写真を見ると、確かにモレスキは小柄なほうだったようだ。
40代半ば、レコーディングしたころ
もっともよくみかけるこの写真は、20世紀初頭に撮影されたもの。
晩年
この写真は墓地の肖像陶板に使われた。
通常、墓地や葬儀の際の写真は直近のものから選ぶことが多いことからも、晩年の写真と思われる。